百名城第5番 陸奥・根城 登城記

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こんばんは、ごった煮です。

久々の更新は百名城、青森県八戸市の根城登城記です。

前回の百名城記事はこちらをどうぞ。

www.negi-nuki.com

 

 【目次】

 

根城メモ

城の種別:平山城

築城者:南部師行(波木井南部氏)

築城年:1334年(建武元年)

略歴:1333年、陸奥国司に任じられた南朝の北畠顕家の下向に、南部師行が甲斐より供奉して入植。

翌年、糠部郡八森に築城し、南朝の根本となることを願い「根城」と名付けた。

1627年(寛永4年)に廃城とされるまで根城南部氏(八戸氏)が統治。

城に関する出来事、攻城戦などが見当たらなかったのは、八戸氏の勢力が強力だったのか、統治が良かったからなのか。

 

城跡散策

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訪問したこの日は「イチョウWeeK!」で本丸を無料開放中でした。

ただ秋が過ぎるのが早かった昨秋は、肝心のイチョウはほぼ落葉。

本丸入り口の受付でも謝られました、全く気にしませんよ。

 

ここ根城を拠点としたのは甲斐源氏の流れを汲む南部氏のなかでも根城南部氏で、八戸氏を称して代々南部宗家に仕えています。

一説には南北朝期の頃は、後に盛岡藩主となって南武宗家を称する三戸南部氏ではなくこの根城南部氏が惣領家だったとも。

高橋克彦氏の東北三部作『天を衝く』でも18代当主八戸政栄が南部家の筆頭家臣とされていて、後に近世大名となる信直の擁立に働いていました。

ただこの小説を読むと戦の天才にして北の鬼、九戸政実に感情移入しまくりです。

 

肝心の城の様子はというと、第一印象としてまず広い。

空堀や本丸の裏側には馬淵(まべち)川の段丘を利用した崖など、中世以前の城郭を再現しているのが見所です。

実際にも江戸初期には廃城とされたので、櫓や塀などあったらおかしいですが。

 

開館終了となる17時近くに本丸の「史跡根城の広場」を出たら、突然、警備員のおじさんから根城の根付けをもらいました。

時間があるときにご自身で作っているそうで、いきなり何かと思いましたが嬉しかったので会社の机に吊るしています。

 

百名城スタンプは八戸市博物館に。

トップの写真はその博物館前に立つ南部師行公像、名馬の産地だけあって騎乗姿です。

山形の霞城公園にある最上義光公像にも劣らないカッコ良さ。

 

 

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