こんばんは、ごった煮です。
新年明けましておめでとうございます、
今年の目標は細々とブログを続けるです。
前回の百名城の記事はこちらをどうぞ。
浪岡城メモ
城の種別:平城
築城者:北畠(浪岡)顕邦(4代目)もしくは、顕義(5代目)
築城年:不詳(文中・応永年間)
略歴:1562年(永禄5年)、川原御所を再興した北畠具信が浪岡具運(8代目)を殺害するという内紛が発生
1578年(天正6年)浪岡顕村(9代目)のとき、大浦(津軽)為信が浪岡城を攻略し、顕村は捕らえられ自害
浪岡氏の後は津軽氏の支城となったが後に廃城
城跡には土塁や堀などの遺構が残るのみ。
建築物では駐車場のところに「浪岡城跡案内所」があって休憩場所にもなりますが、この日は閉館していました。
城跡からの遺物などを展示するのは「青森市中世の館」。
続100名城スタンプもこちらにあります。
城跡を見学・探索
案内所の建物の左わきに道があるので進んでいきます。
南面の堀の役割をしていたであろう浪岡川沿いに進むと浪岡城跡の全体案内図。
うっそうと草の茂る土塁に挟まれた通路を通り、城内に入っていきます。
上った先は内館跡の広場になっていました。
内館跡は一面に草が生えた広場になっていて、柱石なども見当たりません。
というより本当に何もない。
内館の端の方、西館跡を望む方に石碑。
石碑を揮毫された二品熾仁親王は、明治新政府の要職を務め、西南戦争などで活躍された有栖川宮熾仁親王のこと。
浪岡城が、建武の新政から南北朝期に南朝を支え、陸奥将軍府に赴いた北畠親房・顕家の子孫によってつくられたため、南朝正統論が復権しつつあった明治時代に顕彰され建てられたと思います。
内館から北館方面の眺め。
北館には発掘調査によって復元された柱穴に、無数の石柱が立てられています。
内館から西館方面の眺め。
各館の間は堀切で隔てられています。
城跡には桜の木が数多く植えられており、晴れていれば岩木山の遠景も望めるそうなので、春はなかなか見ごたえがありそうな名城でした。