百名城第30番 信濃国高遠城 登城記

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こんばんは、ごった煮です。

国内で旅行に行く際は一応細々と百名城の登城は続けています。

どこにも行けないので、以前の写真を見直してブログネタ探し。

 

 

高遠城メモ

別名:兜山城

城の種別:平山城

 

略歴:

築城年代は不明、諏訪一族の高遠氏が居城として築いたといわれる。

天文14年(1545年)武田晴信が攻略し、天文16年には山本勘助、秋山信友に命じて大改修を行う。

永禄5年(1562年)信玄公四男勝頼が諏訪惣領家を継ぎ諏訪四郎勝頼として城主に、その後も信玄公の実弟信廉が城主を務めるなど伊那支配の拠点として機能。

天正10年(1582年)甲州征伐で織田信忠による猛攻を受け、信玄公五男仁科信盛以下守勢三千人が玉砕する激戦が行われる。

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織豊期には、高遠城攻略で戦功のあった織田家の毛利長秀が入城し、天正壬午の乱のさなか徳川配下となった保科正俊が奪取、徳川の関東移封により豊臣家の家臣となった毛利秀頼(長秀)が復権、その妹婿京極高知が跡を継ぎ城代として岩崎重次が入城。

 慶長5年(1600年)保科正俊の孫にあたる保科正光(その養子は名君保科正之)が高遠藩を立藩、その後鳥居家2代の後に一旦天領となり、内藤家により復藩し8代で明治維新となる。

 

城内を散策

訪れたのは確か、数年前のゴールデンウィークだったのですが、どんな順番で城内を回ったか覚えていません。

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今年のタカトウコヒカンザクラはどうだったか。

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本丸跡に建つ太鼓櫓。

建造物が少なく、掘割の遺構見学などがメインとなる高遠城では見どころの一つ。

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城の太鼓をチャイム代りとはバンカラな高校だったのかな。

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二の丸から本丸にかかっている桜雲橋と奥に見えるのが問屋門、高遠城の紹介などでも使われる代表的な景観です。

 

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空堀跡や土塁跡など、どれがどこにあったものかも分からないですが、初夏の新緑に覆われていて堀の写真か、土塁の写真なのかすらよく分かりません。

 

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「天下第一櫻」の碑。

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武田流築城術の特徴である河岸段丘の高台を利用した造りのため、高遠城下の市街地から伊那市まで一望できます。

でも新緑の時期は木が邪魔。

 

その後、本丸跡にある新城藤原神社をお参り、高遠閣の外観を眺めて百名城スタンプを貰いました。

高遠城の遺構をじっくりと見学できる紅葉の時期にも行ってみたい。

 

 

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