こんばんは、ごった煮です。
行きたいところはいっぱいあるのにマイルがありません、なので近場をウロウロ。
前回の記事はこちらをどうぞ。
息栖神社
御祭神 久那戸神(クナドノカミ)
創建 応神天皇御代
江戸時代の東国三社巡りでは、常陸利根川を船で下り息栖神社に立ち寄っていたため息栖の津の岸に一の鳥居が建っています。
忍潮井は伊勢の明星井、伏見の直井と日本三霊水。
忍潮井には亀がいると思ってました。
拝殿から津に向かって伸びるまっすぐな参道がいい感じ。
常陸と下総、それぞれの一之宮である鹿島神宮、香取神宮と比べると本殿は小さめ。
御神木の夫婦杉にオガタマの木にもご利益を祈願。
境内には遷宮以降に土台石に使われた礎石と力石。
他の二社には要石があって、東国三社には石が共通なのかなと考えさせられます。
香取神宮
御祭神 経津主大神(フツヌシノオオカミ)
創建 神武天皇の御代18年
やっぱり鳥居の前に立ってこの写真からスタート。
1700年、犬公方こと5代将軍吉宗によって本殿とともに建造された楼門には、東郷元帥の揮毫による額が飾られています。
5代将軍綱吉の生母は、玉の輿の語源とされる桂昌院(お玉の方)。
その桂昌院が寄進再建した京都の今宮神社には以前に参拝していました。
源頼義が天下太平・社頭繁栄・子孫長久と3つの願いをかけたら三岐になったとされる三本杉。
頼義と下総国の関係からすると「平忠常の乱」の時かな。
香取神宮の要石は大鯰の尻尾側を抑え込んでいるとされますが、実は鹿島神宮のと地下でつながっているんじゃないかと思っています。
この奥宮手前に社務所が設けられていて、そこで奥宮の御朱印を頂けました。
拝殿のまわりはヤブ蚊がいっぱい。
奥宮の近くに飯篠長威斎の墓。
後で調べたら、武芸十八般の源流となる天真正伝香取神道流の始祖で、日本兵法中興の祖ともいわれる大人物でした。
塚原卜伝や上泉信綱などの著名な剣豪はことごとくこの流派を学んでいて、徳川将軍家の御流儀である柳生新陰流にとっても遠祖。
敷地内に大きな顕彰碑などがありますが、この切り取られたような形のものがお墓本体。
うなぎ割烹山田
東国三社巡りの締めは、今夏に食べ逃したうなぎ。
水郷佐原は江戸時代に利根川の水運で栄え、その利根川は天然うなぎの産地として当時から有名。
このうなぎ割烹山田も江戸時代から300年続く老舗だそうです。
うな丼とじか重とうな重の違いは、どんぶりかお重か、ご飯と一緒か別かの違いでうなぎ自体なんかは変わらないとのこと。
ゴージャスな気分になれそうなのはじか重ですね。
上にするときも吸いまでついてくるのがうれしいところ。
お重からはみ出るほど大きいうなぎは、身も厚いのに皮まで柔らかくてとても美味しかった。
御朱印
鹿島神宮
鹿島神宮奥宮
息栖神社
香取神宮
香取神宮奥宮