こんばんは、ごった煮です。
宮崎観光で目的にしていたうちの一つ、百名城の飫肥城へ行ってきました。
前回の記事はこちらをどうぞ。
=目次=
飫肥城メモ
城の種別:平山城
築城者:土持氏(日向国荘園領主)
築城年:南北朝時代
略歴:
長禄2年(1458年) 島津家臣新納忠続 大隅国志布志から移封
文明16年(1484年) 島津家の内紛により島津伊作氏、日向伊東氏、豊後大友氏の連合軍により落城
文明17年(1485年) 島津忠昌が奪還、以後島津氏と伊東氏で攻防が続く
永禄10年(1567年) 伊東義祐が奪取するも、その後の伊東氏の没落で日向国全土が島津氏勢力下に
このことを俗に「伊東崩れ」と呼び、落ち延びる伊東一族に「伊東マンショ」がいました。
天正15年(1588年) 伊東祐兵が九州平定の功績により、近世大名として飫肥城に復帰
以後、明治維新まで伊東氏14代に渡り飫肥藩の藩庁となる。
明治期に発布された廃城令では存城処分となったものの、取り壊されてしまったそうです。
資料館は見ごたえあり
百名城スタンプは歴史資料館の受付にあります。
スタンプを貰ってそのまま資料館を見学。
伊東家から寄贈された甲冑・刀剣・武具・古文書・衣服等の飫肥藩の歴史資料が並んでいました。
飫肥城内を見学
大手門は1978年に復元されました。
丘陵地を利用した平山城のため、中心部に向かって上っていく造り。
大手門復元の翌年に再建された松尾の丸御殿は、本丸の代わりに藩主の御殿として利用されていました。
再建には地元の飫肥杉が利用されたそうで、城内にも植えられています。
クランクが多用された白壁が印象的でした。
飫肥藩伊東家の家紋、庵木瓜と太閤秀吉公に認められた十曜紋。
桜の木も多かったので、その時期に来ると綺麗と思います。