九州の小京都にある日向国飫肥城(日本百名城第95番)

 

f:id:lvjd5446:20181228070941j:plain

こんばんは、ごった煮です。

宮崎観光で目的にしていたうちの一つ、百名城の飫肥城へ行ってきました。

前回の記事はこちらをどうぞ。

www.negi-nuki.com

 

   =目次=

 

飫肥城メモ

f:id:lvjd5446:20181228080143j:plain

城の種別:平山城

築城者:土持氏(日向国荘園領主)

築城年:南北朝時代

略歴:

長禄2年(1458年) 島津家臣新納忠続 大隅国志布志から移封

文明16年(1484年) 島津家の内紛により島津伊作氏、日向伊東氏、豊後大友氏の連合軍により落城

文明17年(1485年) 島津忠昌が奪還、以後島津氏と伊東氏で攻防が続く

永禄10年(1567年) 伊東義祐が奪取するも、その後の伊東氏の没落で日向国全土が島津氏勢力下に

このことを俗に「伊東崩れ」と呼び、落ち延びる伊東一族に「伊東マンショ」がいました。

天正15年(1588年) 伊東祐兵が九州平定の功績により、近世大名として飫肥城に復帰

以後、明治維新まで伊東氏14代に渡り飫肥藩の藩庁となる。

 

明治期に発布された廃城令では存城処分となったものの、取り壊されてしまったそうです。

 

資料館は見ごたえあり

f:id:lvjd5446:20181228071139j:plain

百名城スタンプは歴史資料館の受付にあります。

スタンプを貰ってそのまま資料館を見学。

伊東家から寄贈された甲冑・刀剣・武具・古文書・衣服等の飫肥藩の歴史資料が並んでいました。

 

飫肥城内を見学

f:id:lvjd5446:20181228070948j:plain

大手門は1978年に復元されました。

f:id:lvjd5446:20181228070915j:plain

丘陵地を利用した平山城のため、中心部に向かって上っていく造り。

f:id:lvjd5446:20181228071336j:plain

f:id:lvjd5446:20181228071321j:plain

大手門復元の翌年に再建された松尾の丸御殿は、本丸の代わりに藩主の御殿として利用されていました。

f:id:lvjd5446:20181228071436j:plain

再建には地元の飫肥杉が利用されたそうで、城内にも植えられています。

f:id:lvjd5446:20181228071130j:plain

f:id:lvjd5446:20181228071156j:plain
クランクが多用された白壁が印象的でした。

f:id:lvjd5446:20181228075927j:plain

飫肥藩伊東家の家紋、庵木瓜と太閤秀吉公に認められた十曜紋。

 

桜の木も多かったので、その時期に来ると綺麗と思います。

 

 

にほんブログ村 小遣いブログ マイレージへ

ブログランキング・にほんブログ村へ

PAGE TOPに戻る

【Sponsered Link】